前段の続きです。
落合博満の公演を聞いてまとめようとしましたが、無理でした。
落合は原稿も見ないで好き勝手に話していましたので結構話が飛んで、自分(自分って私のこと)の中で繋がりが持てなくなってしまいましたので、思い出した順に書いています。
精神状態によって言葉の伝わり方が違う
これは最初のように言っていた。同じ言葉でも相手の精神状態によって激しい言葉にもなるし、スルーされる言葉ににもなる。
だから人の状況をつぶさに観察しておけということです。
試合前には全選手、全スタッフの行動を観察していたと言っていました。
それくらい言葉の伝わり方を気にしていたということなんでしょうね。
だから誰々がどういう状態であるかというのを答えられる状況にしていたと言っていました。
だから過大評価はしない、出来ることと出来ないことを見極めたかったと言いました。
あと人は無視されるのが一番つらいとも言っていました。むしろ非難されるくらいはありがたいとも。
言われたことをやるやつ
言われたことをやるやつでいい。その先はまた指導してあげればいい。
人に過度に期待しないということなのかな。
また指導の言葉は本当に伝わったのか確認するときは、
オレの言ったことをもう一度言ってみてくれと言うそうです。
それでやっと伝わったことが確認できると。
それくらい確認しないと伝わらないものなんでしょうね。野球選手も一人の技術者ですからそれぞれの信念があります。そこに監督の意思を統一されるために伝わり方にこだわり抜いていたとも思いました。
スランプの抜け方
これは興味深いと思ったけど、ふつうでした。
スランプになったときは寝て食って体力を回復させる。
これだけ。体力が無いから技術が発揮できないという考え方です。
逆に長嶋茂雄や王貞治はむしろ練習を行ったようです。
落合的には技術はほぼ完成されていて調整する体力さえ戻せばOKだったみたいです。
その他
そのほか、どういう文脈で出てきたか思い出さないですが、こんなことを言っていたので記しておきます。
- 知っていてもやらなければ知らないと同じ
- 当事者出ないものは当事者同士の話を聞くこと
このあたりは聞いたことあるフレーズです。あの落合も定説というかよく言われることの逆張りのイメージが有りましたが
全てがそうではないですね。当たり前のことは当たり前なんですきっと。
年が66歳で、かなり自己中心的なイメージがあったから、人の指導については時代的に合わないかもな・・・と思って聞き始めました。
でも思いの外そうだよなと思うことも多く楽しかったです。
全て観察する
また落合が監督や解説をやっていた当時の野球コーチはどうも仕事していなかったようで、選手が練習(居残り)していても勝手にかえってしまうことが日常茶飯事だったようです。
それは絶対にやらせなかったと言っていました。だから一人居残りしていたとしても、全コーチが見守るといういまだかつて無い光景が出現したそうです。
選手が怪我したとか、どういう練習をしているかを知らずに試合に出せない、どういう状況にいるのかを知らずに勝てないと強く思っていたのでしょう。
いまは放任で伸ばすような雰囲気ですが、そこは目を離さずにやっていたようです。ここが一番印象に残りました。