上司に詰められて気づくこと。前にも書きましたけれど、上司が変わって別会社になったような気分の半年です。
正論との戦いになりそうです。正論と戦う相手は必然的に異論、邪論になりそうですが、理解です。
正論は間違いはないゆえに人を傷つけます。
ただそんな正論マンでも上司は上司、会社員生活の首根っこを抑えられているのは事実。
ここで鍛えるべきは自分を守る力だと認識した。精神的にもそうだし、会社員生活としてもそうだ。それが会社員の宿命だった。
そうは言ってもメンタルブレイクする前に対策をねって通常レベルに復帰しないと。
真逆のプレースタイル
いままでの上司と真逆のスタイルのため、これまでやらなくても良かったことが出来ていないことになりました。
これにより、そんなんじゃだめだ。お前がそんなんではイカン。よく堂々と言えるな、みたいな感じで詰められています。
たしかに言われている事は正論で、やった方がいいと思うことではあるが、プレースタイルの違いだとおもう。
彼の言い分ではやり方を変えるというよりは、出来ていないところとしては指導というコンセプトなんだろう。
野球で例えるなら盗塁はしないプレースタイルから盗塁もドンドンしていくスタイルに変更になったわけだ。そこでなんで盗塁してないんだ!って言う必要あるかな。
落合博満になんで盗塁しないのか!っていう人いるかな。たとえ変だな。
正論の持ち出し方が、やる気を削ぐ。変態的な言い回しだわ。
こんなこともある一方でふと自分の事もどこかで見直すと奥さんにもそんな風にやっていた気がしている。
あんたはいつも正論だわって言われたことある。自分が言われている環境で初めてわかることって多い。
人間関係で正論は不要
人と円滑にやっていく時には正論って本当に暴力になってしまうな。普通の人はそういうことはしないと思うけど、家なんかではふと相手の失敗をそんな風に言ってしまうことがある。
正論を述べたあとはカッコして(だからお前はダメなんだ)みたいな言外の余韻が残るじゃないですか。
だから正論は2回攻撃でひどいダメージを与えてしまう。そう考えると家庭はもちろんのこと、仕事でも正論はあまり持ち出さないようにすることが必要かと思う。
持ち出すにしても言い方があるはずですよね。
相手にもよるかもしれないけど、鋼のメンタルだと思っているやつだって何とかどこかで、傷を回復させているはずだし。伝わりやすい言い方は人それぞれだからな。
そういう意味で上司って難しい役職なんだな。
(うまくやろうとすると)
上司を通じて自分がどんなけやっちまっていたのかが分かった。そういう意味では反面教師の大先生とも言える。
変えられないもの
自分の信念とかじゃなくて、変えようとしても変えられないもの、性質。
このとこを通して人間には固有の特性がやっぱりあるというのが分かってきた。村上春樹の本にもよく出てくる話だけど、どうしても変わらない性質というものがある。
それは奥さんを見ていても、自分を見ていても感じてきた。
できない事ってあるということ。そこを理解し合う事って必要。本当に愛より理解だわ。その理解もその人や自分自身のできないことを理解してもらうというのが一緒に生きるってことだよね。
仕事は別ではあるけれど、信頼関係はこうありたい。相手はその人の特性を考える、その人は自分の特性をわかる。結構な難しさだ。
そんな上司でも評価する側
どんだけ合わないとか、おかしな上司でも評価は彼に委ねられていて、いうなればコマでしか無いということも事実。辛いところだ。
最悪辞めてくださいなんてこともあるわけで、どこかで折り合いをつけるポイントを見つけていくしかない。それが会社員だから。
たしかに正論をかざされて、正されて仕方ないなとも思えることもある。素直にそうするべきだったと心で思うことも事実。
とっとと正論を習得して正論側、正論の向こう側へ行かないと。精神的にまずガタがきそうです。
本当に予断ですが、上司が外出などで不在の日がこんなに快適と思ったことは無い。それほどまでに精神が引っ張られている。
頑張ろうとは言えない、対策を早いとこ習得してメンタルを通常レベルに戻すことを目標にします。