昨日久しぶりに家で弱音を吐いた。どれだけぶりになるんだろう。嫌な上司は健在だけれどもう自分が限界な気もしてきた。
色々とトラブルもあってキツイ。拘束時間とか強いプレッシャがあるわけではないんだけれどどうしても自分に合わないと常々思っていた。
これって誰もがそうだろうけれど。自分は自分しかわからんじゃん?何が嫌なんだろう、何があっていないんだろうか。
コミュニケーション能力
よく言われるコミュニケーション能力が多分低い。そもそも話す必要性を感じていない、心の奥では。できれば会話をしたくない。
なぜ。自分の無能さを出すのが怖いから、言い負かされることだって怖い。これはかなり昔からそうだった。自分の特性なのかわからいけれど。
おそらく黙っていれば高評価を得られるという経験があったんだろう。この営業職ならずとも会社員はコミュニケーションの塊。何をするにも必要になる。
結局は自信がないということ。生活も上辺だけで過ごしている。
自社製品のトラブル
今じゃ一日の対応の内3割くらいはトラブルとか、使い方なんかの対応だと思う。それほどに、トラブルに巻き込まれやすい製品と言える。
実際にその製品がトラブルの原因になることは殆ど無いのだけど巻き込まれて、消耗してしまう。無罪であっても重要参考人として法定に連れて行かれる感じでしょうか?
そういう無用なトラブルに絡みながら、やっていくのがもうたくさんになった。
解決策
解決策は仕事を変える、辞めるみたいなものだと思っていた。しかしそれには今以上にストレスがかかる。その準備、覚悟がいるよ。その覚悟がない。今いる位置を通す方が、まだましなんて思っている。
とある後輩
とある若い後輩がどうも気になる。すごいいいやつなんだけれど、ミスが多い。毎日なにか納品トラブルや納期のなんやかんやが巻き起こっている。その子が自分向いていないです。とふと残業中にこぼした。
これをどう見るかはそれぞれ。発達障害について少し学び始めている身としては、なんか特性の問題で苦労しているのかなと思い始めている。彼は精いっぱいやっていると思う。
しかしどう見てもなにか予想を立てる力とか、が弱いような気がする。単純に努力不足か、適当にやってしまおうという悪い癖なのかもしれない。そこのところはほんとに発達障害の可能性があるなら、普通の怒られ方を続けられたら多分壊れると思う。
合う合わないの話
後輩の話を出したのはべつに自分も同じだということを言うわけではないけど、どうも合わないという言葉は、意外と真剣に向き合っていく事が大事かと思ったから。
向いていないとか合っていないとかは、誰だってそう言うし、実際自分でそう言いながら合っていることだってあるから、一つのよくある言い訳みたいに思える。
しかし本当に合っていないっていうことはやっぱりあるんではないかということを思い始めている。それがその後輩を引き合いに出した理由。
そう思いながら続けれらているなら合っているとは思わずに、どっかで心が無理していると思う。
これから
これからも今の仕事は多分すると思う。一つの目安は60歳なんだろうけど45歳で切ろうと思う。もう無理。そこからのスケジュールは?全く未定だけれど、開放されるなら少しは楽になる。