先日、2回めの発達検査の結果を聞きに行きました。
結果は前回と同様に自閉症スペクトラムと軽い知的な遅れがあるとのことでした。
これもちょっといい方が違っていて境界知能当言葉も出ました。あまり馴染みがない。
ただ発達はしていて前回のやり取りとは違っていました。また、我々親の頭も自閉症スペクトラムであるというところからスタートしているのであまり、臆せず色々と質問でした。
前みたいに涙したりすることはなく淡々と聞きたいことを聞いていた。淡々とことを済ませるようにしていた。次は普通に行けば1年後に発達検査があるとのことでした。
前提は自閉症スペクトラムであること
我々の前提はもはや自閉症スペクトラムであるということからスタートしている。というかスタートしてしまっている。これまでに散々本で読んだしこれが治るということは無いということは分かっている。
ただ実はそこに期待がなかったわけではなかった。もしかして先生から、自閉症スペクトラムではないかも知れないということもどこかで期待していた。
だから確認をしてしまった。我が子は自閉症スペクトラムだと言うことからスタートでいいんですよね?って。結果ははい。そうだよね。分かってはいたけど、やっぱりそうだな、治るものでもないからね。ただ、自分たちはもはや病名?症状名に意味はなくなっていた気がする。
どうやって本人が楽しく生きていけるかを考える場面でもあることを再認識した。
最初は子供とのやり取り
話が前後するけれど、まず先生の前に子供と座って先生と子供の簡単なやり取りをした。幼稚園の名前とか、先生の名前、何して遊ぶみたいな質問だったと思う。
なんか検査しているような気もしてちょっと緊張した(自分が)。ただその時点で検査は一ヶ月前に終わっていて、考察も出ているから関係はない。先生が子供と合うのは実はこのタイミングだけだから、様子を見たいんだろう。発達検査は別の検査員さんがやっていた。
それから、子供は違う職員さんと遊び場に移動して、我々親は検査結果の説明を受けた。
検査結果の読み上げ
たんたんと検査結果を読み上げてくれた。中で質問があれば回答してもらう。
この中で境界知能ということばがあった。どっかで聞いた気がしたけれど、簡単に言うと知的な遅れから正常の間のIQ値に当てはまる状態を言うらしい。
ただその領域になったからと言って、次は下がるかも知れないし、もしくは発達するかも知れない。ただその具合はその子の能力であってこうすれば増えるということではないらしい。
どこまで引き出してあげるかということのようだった。
この先生はあまり期待をもたせることを言わない。だから信頼できると考えています。本とかでは自分のいいように解釈して、(正常化バイアスみたいなのがかかって)何か違うかもみたいな淡い期待をもって適切な対応が遅れてしまうこともある。
そこはビシッと言ってくれるのが、逆に好感がもてる。
先のことは考えすぎない
実は質問をしたいことはすごくたくさんあった。小学校はどういう所がいいのか、支援学級なのか、それとも。またまた幼稚園は続けたほうがいいのか?とか。
ただそれを聞くのは止めておいた。淡い期待を持ちたかったということもあったけれど、今それを聞いて対策打てるものでは無いし、今ある課題を上手くクリア出来るようになるのが先決だと。
自分から不安に突っ込んでいって、解決もできない状態に陥る必要な無いですよね。
そんなふうにして面談は終わった。感想としては「さぁ頑張っていこう」と「まぁ
こんなもんでしょう」の間な心境だった。やるべきことはやる必要があるし、それは今までとそこまで大きく変わらない。
大人側が知識をつける
今は我々が知識をつけて、子供に施す側だからいろいろなやり取りを通して経験値を増やしてあげるのがいいのかなと思う。知ってることが増えれば、パニックになる可能性が減るのかなんて思っている。(違うかな?)
だから成長するのはまず大人側なんだと思いました。どうしても自分の経験をもとに子供に伝えてしまう。この方法は当てにならないこともあることと考えないとな。
子供と一緒に過ごしていく、当たり前なんだけど。