久しぶりにASDの特徴である、「あいまいな表現は伝わりにくいということ」を実感した。その中の言葉をそのまま受け取ってしまうということ。
少しずつ会話ができるようになっているけれど、遠回しな表現が理解できていないことがわかりました。たまたまなのか、そういう特性なのかわかりませんが。こんな感じのやり取りでした。
とあるショッピングセンターでご飯を食べてプラレールが欲しいっていう話になったときでした。
欲しいのか、ほしくないのか?
ここで我々は買わないけれど見に行こうというあいまいな提案をしていました。場合によっては買ってあげるような雰囲気があるじゃないですか?
見に行って結局買っちゃったというよくあるシーンだと思います。
子供は少し起こりながらも、足はおもちゃ売り場に向いていました。なんか不思議でした。もしかしたら買ってあげるかもしれないのにどうして起こっているんだろう?
ここで奥さんが少し気づきました。もしかしたら見に行くということをそのまま受け取っているのでは?と。そして再び聞いてみました。
欲しいのは買う
まぁこんな感じで、結局買ったんですけれど。思い返せば見に行くというあいまいなニュアンスは伝わらなかったようです。これはASDの特徴と言えばそうですし、もしかしたら違うかもしれません。
しかしですがこういう言い方で、真に受けてしまうことがあるということがわかりました。これまで冗談というかギャグみたいなことも、それとわかって話していたと思っていたので意外な一面でした。
だから今回は欲しいものを見に行くということを直接理解すると、
欲しい→買う(正解◎)
欲しい→見に行く(見るだけ)不正解×
といった理解だったんだと思います。
思った以上に遠回しな会話
思えば我々は思った以上に遠回しな表現をしていることに気づきます。もうすぐ着くとか、あの辺で待っていてとか、これって自然な表現ではありますが正確には伝わりませんね。
その辺のやり取りも今後気を付けていくことが必要ですね。というのか教えていくということなのか。