最近とくに子供と一緒にいようと思うようになったからか、気付きはたくさんある。
思った以上に喋ってくれる。まぁ奥さんに言わせれば、前からでしょと言われるんだけど。
移動していると、ここはバス停で〇〇ちゃんがいるところとか言ってくれる。(そしてその〇〇ちゃんではなかったことがわかったけど・・・汗)
そして自転車の後ろ座席に一人で乗り込む事もできるようになった。
ただ相変わらず、乗るまでに一手間かかることが多くて本当に困る。
3歳最後の日だよ
これを書いた日は実は子供が3歳最後の日だ。
あしたから4歳なんだって。
成長がうれしいけど、ほんとうに不安はある。
今までは小さいからね、とかで紛らわせていたことも、少し違和感をもたれる様になるんだろうな。
堂々と育てられるのか。恥ずかしがってなんにもできなくなってしまうのかもしれない。
それを思うと奥さんは目の前のことに必死にやってもらっているからなのか、堂々としているからなのかわからないけど、あんまりそういうことは言わない。
自分はやっぱり外面を気にしているんだろうな。だから急に山暮らしなんてことも思いついてしまうんだろう。
最終目的は子供を自立して生活できるようにすることなんだと思っている。
けど特性によってはそういうふうにできないことだってあるだろう。なんか漠然とだけど将来は子供が自立して夫婦で静かに暮らすって勝手に考えていたからそれが、どうも違いそうな雰囲気がしている。
自分の頭の中の普通
自分の中の家族の面々と続くつながりで、子供が自立し親は静かに暮らすっていうのが普通だと思っていた。
それがどうやら違いそうになるということに最初のうちはショックで、悩んでいた。
いつの間にか頭の中に積み重なった普通がそんなことを思わせたんだろうな。そういう情報なんてなかったらそのまま受け入れられたのかもしれないね。
そうやって思いながらも、ずーっと一緒にいるのも悪くないのかなとも思ってしまう。
あとテレビのCMみてると子沢山のお母さんのシーンとか、ちょっと見てらんない気分だ。
羨ましいんだろうな。実際は定型発達でも子供の悩みは尽きないはずなんだけど、どうしても比較してしまう。
なんの意味もないのはわかっているけど、どうしても多数派の威力を感じずにはいられない。
子供は子供自身でいいし、そうでしかないんだけどね、どうしても他人と関わっていかないといけないんだから、その時に苦労するんだろうなって思うけどそれって自分たちがビビっているだけなのかもしれないね。
自分が楽したいだけなんかもしれない。