自閉症スペクトラム(ASD)

小山田圭吾さんと自分と何が違うのか

電車の駅

Twitterでこの小山田圭吾さんの過去のいじめを語る(いじめた側)記事を読みました。

野次馬の勢いで。

内容はため息が止まらないものだった。この人を自分はよく知らないけれどオリンピックに関わっているからこのタイミングで話題になったんだろうか。過去にも出たことがあるようだ。

簡単にまとめると学生時代に障がい者に対していじめをしたことを武勇伝のように語ったことが記事になっている。内容は調べれば一瞬で出てくる。

今この方がどういうマインドで生きているかはわからないし、過去の過ちで今を再評価されてはたまらないだろうけれどね。

怒りにしか到達しない記事

この記事を見れば誰だって瞬間湯沸かし器になりますよ。一般的な弱者へのあまりにもひどい暴力や名誉を傷つけているわけだから、同情のしようがない記事だし。だからこそよく考えなきゃいけない。

当時のこの人がそのような社会的弱者にしかこのマインドができなかったことはよくよく考えればどこかさみしい人だったんかなとも言えないかな。

圧倒的な強者や張り合うライバルとの戦いを描いている訳でも無いし、ただの武勇伝自慢だったのかもしれない。それを真に受けてこの人は項羽と劉邦の韓信のような武勇のある人だと思ってしまうかもしれない記事の仕上げ方やインタビュアも良くなかったでしょうね。

今でも武勇伝は小なり大なりあるじゃないですか。

ただ悲しくなる

自分も10年前の気分だったらこの記事を読んで、この騒ぎを感じてどうも思ったかはわからないけど、あーあやっちゃったなとしか思わなかったかもしれん。

今は、とにかく悲しくなる。この気持ちの源泉は子供がいることだし、子供がこういう人たちと出会いながら生きていかなくてはいかないことに絶望する気分。

かく言う自分自身も障がい者の人達との接し方はわからないままだ。いつこのような行為に及ぶ、加担することになるかもわからない。

今はオリンピックという不安定なものがあるから、ゴールへの傾斜がついているけどそれがない一般の社会では自分が不快であるということに重心があるはず。一対一になったとき自分はどう接せられるのかというのは、この話題では語られていない。

最終的にはオリンピックがひどい大会だったとしかならない。この話題は障がい者の生きやすさにはつながっていないのがつらいところだ。

ただのみんなのイライラの出口に傾いているだけのはなし。

書いていて少し落ち着きを取り戻してきたけれど、とにかくこんなことがあったことに対して、こんなことをした人に対してはとてもイヤな気分でたくさんだ。

 

オリンピックも到底見る気にならないし、ここ東京では来週からオリンピックが始まるなんて雰囲気はまるでない。こんな話題が出てなおさらだ。

ここにきてスポーツが好きだとか、素晴らしいとかのCMが多くて変な気分だよ。それは人それぞれだから、わざわざ言わなくてもと。

これもオリンピックの商業思考の影響だとは思うけど、何もそんな大企業がわざわざいうことなのかなとも思う。

この人のおかげでいろいろと考えることができた。この人がどういう音楽を作るのかわからいからすきも嫌いもないですけど。この行為だけは読んだときに本当にひどいとは思った。でもね当時の雑誌の読み手はこれを武勇伝として受け取ったんでしょうか。

自分も正直なところ当時その雑誌を読んでいたら笑い飛ばしていたかもしれない。

ASDの子供との生活について

いまは楽観的にみているけれど本当にこんな定型発達の人たちと触れ合って傷だらけになることがあるんだろうと想像すると本当に涙が出てしまう。

こんなに思うのは親だけなんだろうな、ここに共感できる人は本当にすごいことだよ。それこそニュータイプだわ。相手の立場になってとかは限界があるよ。

今回の話は改めて世間の厳しさが良くわかってよかったのかもしれない。やっちまった人はその分非難されればいいんだけど。根本の問題は相変わらずあるわけですよ。

コロナウイルスとは違い有効なワクチンもない。人は生まれてきた段階では教育されていないから、それからの意識のつくられかたなんでしょうね。しみこませるのは時間がかかるだろうけど。

とにかくオリンピックが嫌になってしまった。楽しみにしていたニュースのスポーツコーナーも嫌気がさしてしまった。

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havefan35
ダイエットと軽い筋トレでシュッとすることを目指しています。