自閉症スペクトラム(ASD)

優性思想は誰のため?

優性思想という言葉は最近よく耳にしますね。相模原市の事件でも、この頃の有名人の発言でもそうでした。

このような劣っているという人というラベルを張る先は違えども、人に優劣がつくということを考えることでは共通しています。そのより劣っている方を排除しようとする、より優れている方を良しとする考え方でしょう。

多様性という言葉と対照的なこの優性思想。ただ自分でも何が悪いのか分からなくなることがあります。

人の手を借りながら生きていくことが、良いことなのだろうか。

自然界に目を向ければ淘汰問う言葉で、未熟に育ったものや何らかの障害を負ってしまったものは敵に狙われて、そうそうに命を落としていく。また食料にたどり着けず命を落としていくこともあるでしょう。

また交尾なんかも強い雄や声が大きい雄がより多い子孫を残していくわけですよね。そういう自然界でのルールは人にも当てはまっていたことがあると思うのです。

それが少しずつ変わっていき、生まれ持った命は皆平等であるということが言われます。

この自然のルールにいわば逆らうように生きていくことになります。そのために社会整備のコストは増大していきます。

これは一般論であると思います。どちらかと言えばそういう障がい者をもった親が主体となり、子に生きてほしいと強く願うようになったことがそもそもの始まりなのでしょう。

ASD障がい者との生活の実際

パラリンピック美談は本当に一握りに過ぎないということが一瞬でわかるように今は情報が満ち溢れている。自閉症スペクトラムのことに限って書きます。

少しでも検索してみると、悲痛な親の声が聞こえてくる。それは教育書に書かれるようなきれいごとではなく、日常のリアル。彼らは本当に苦しんでいるのがわかる。真偽は確かめられないけれど見ていてリアルすぎる。最初は子供が生まれて大変な喜びだったんでしょう。

でも彼らにとっては障がい者の子がいることで幸福なのかと問われれば、何と答えるでしょうか。石川医師は生きているだけでOKと言いますが、中にはひどい言葉も見られます。

誰もが普通の子供を望んで普通の家庭を想像して出産、子育てを行うでしょう。しかし現実は全く正反対であることに耐えられない。

中でも思うのはとんでもないやんちゃ坊主であっても、一人で生活し何とか生きてくれているということは親としては多少の喜びではあると思うのです。しかし自閉症スペクトラムや知的障害を伴う場合は、自活が中々難しい状況のため同居が余儀なくされているようです。

その中で自分が死ぬまで、ひどい生活が続くことになるのです。これは想像です。これから幸福を見つけようとするのはしんどい気がします。

自分の考え方のシフト

そもそも、人を良い悪いで選別することがいけないとは思います。今後の不幸を勝手に想像してしまう。もう少し言えば自分たち親が亡き後の子供悲惨な今後を勝手に想像してしまう。

そうしないように社会性、自律スキルが必要とは思います。もうASDと診断されて2年近くたつのに普通の人生の幸せを目指しているのは自分でもあきれる。

幸せに優劣はないから今の自分の幸せをシフトすることが必要なんだろうな。テレビドラマのような仲の良い家族、こどもの生活というのは幻想だわ。実際の定型発達の子の家だってそれなりの課題があって、こんなはずじゃなかったということは大いにあるんでしょう。

幸せはそれぞれなんだろうな。こういうのは最後にわかるのかもしれませんが。

優性と命

話は戻って優性思想というのはあくまでスポーツの記録なんかのことであってその人自身を定義付けるものではないというのが自分の今のところの考えです。

この優劣を人間の命や周りへのヘルプ度に応じてつけてしまうのは余裕がありません。独自路線という言葉で強く生きることが何より。人生迷子の自分が自戒のためのことば。

 

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havefan35
ダイエットと軽い筋トレでシュッとすることを目指しています。