「この子がいなかったら、わたしは傲慢な人間になっていたでしょう。わたしをまっとうにしてくれたこの子には感謝しかありません」
そんな言葉を高橋源一郎さんの質問コーナーでみた。(毎日新聞の相談コーナー)
文脈はこう。親から感謝や尊敬を求められて困っているという相談に、親は子供に育てられるものなんだという回答。その中の引用で重度の心身障害者の子を持つ親の言葉がそれでした。
一見、そうそう。というように思えたのですが、「傲慢」という言葉にとても引っかかった。
もしかしたらこの親は自分勝手に生きてきて思い通りな人生を暮らしていたのかもしれない。
でも子供さんが生まれて、自分を捉え直して何かが変わったと感じたんでしょうか。
定型発達の子供を持つと傲慢になるわけではないでしょうし。うまく言葉に出来ないんですが、なんかわかる気がします。
結婚して子供がいて、家があってという環境は知らず知らず自分が正解を歩んでいるような気にさせます。それが、そうではない環境の人に対して、自分で気づかない内にマウントを取って接していたという感じかもしれません。(かなり空想)
だからこの人の気持ちの変化にすごく興味がわきます。今、自分を振り返ると自分の子が定型発達だったらもしかして、何か、誰かに対して傲慢になっていたのかもしれません。
多様性を認めるというと建前みたいなことですが色々な事情があるということを少しは理解してきていると思っています。
この人の言葉のように自分も子供に救われていることがあると思いました。
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