いま35歳になって自分は禿げている。20代前半にすごい悩み、苦しんだ。
なんだか髪の毛の力が無くなり、カールしたりおでこがベジータみたいにどんどんなっていった。
一番オヤっと思ったのは美容院に行ったあとにシャンプーしてリアルを見たとき。
今思うとなぜそんなに悩んだのか不思議だ。ただ何かに異常に怒っていた。
怒りに任せて「なんで禿げてるの」でググったこともある。
35歳の自分から今言えるのはそんなことはもう悩まなくてもいい。ということだ。
今剥げている最中
こんなこと言って、今はフサフサで大丈夫だよと言うつもりもない。
今もハゲは進行しているし、たまに会う人会う人、禿げたなーと言われる。
自分でも生え際のディフェンスが少なく、スカスカでやばいなとは思っている。
遺伝要素が強い
やっぱり髪の毛の件は遺伝の要素がとても強いと思う。自分は学者でもないからはっきり言えないけど、ハゲの子は禿げと言ってもいい。周りを見てなんとなくそう思っている。
実際自分の親も薄毛で、間違ってもフサフサではない。話し合ったことは無いけど同じ頃に同じような髪の毛をしていた気もする。
だからもう遺伝ですからといえば終わり。そこまで抗おうとも思わない。
自分の中の強い言葉
ここまでこれたのも実は他ならぬ村上春樹の小説の影響がある。
たまたま読んでいたダンス・ダンス・ダンスという小説で主人公が近所の女の子と出会い、その子の行っているバイトが道行く人の頭髪の具合を調べることだった。
その中の言葉でハゲは遺伝で、何かを行っても変えられないという言葉。更に「ホームレスの人はハゲが少ないでしょ、それは頭皮頭髪のケアは髪の毛には関係ないのよ」という言葉だった。
細かくは違うかもしれない、もう調べることもしないけれど。
そうか、そうだよな。そこは身長とおなじジャンルじゃんと自分で腑に落とした。
これが今でも心の支えになっている。
ケアはしたい
ただです。だからといって禿げをハゲらしく見せる必要はないかと思う。
仮に上の話が真実であってもハゲていることはあまりメリットにはならないことはわかっている。
だから敢えてハゲていることを見せつける必要はないかなと思う。
具体的には、ハゲと言う状態はなんとなく見た目が散らかっている、黒髪と皮膚の見え隠れバランスがおかしい、ということかなと思う。
そこでいっそ坊主にするものいいし、髪の毛を短くしてはっきり境界を作るのもいいかもしれない。
一言で言えば清潔感が見て取れればそれでいい。わけのわからん状態は他人に悩みを与えてしまう気がする。
自分は今どうしているか
自分はいま髪を短く切って基本は前髪を上げて、おでこを出している。
そうじゃないとき(休日)は帽子をかぶっている。
ここのところは堂々としているかどうかだと思う。自分でハゲキャラを作っていくのもありかもしれない。
言いたいことはこれは自分のせいではないということだ。
他責だからもうしょうがない。世の中には色々と発毛の話があるけど、真偽の程は試していないからわからない。実はいいものがあるかもしれない。
それは考え方次第だし、トライしてもいいかもしれない。確かにモテの世界では髪の毛はアピールポイントの一つだし、個性の出るポイントでもある。
ただ清潔感はどうであっても必要だと思う。自分に言い聞かせる。
本当に自分を責めないでほしい。髪の毛だけでは決まらないから。